岸先生の生涯
岸信行先生は山形県の新庄市で生まれた。新庄市のある山形県最上地方は、北は鳥海山から連なる秋田県境の山々に近く、西南には月山をいただく出羽三山に囲まれている自然の厳しいところだ。月山には、冬は日本海を渡ってくるシベリアからの湿った強い風雪により30mも雪が積もる。そしてこの雪が春になって溶けると、麓の水田を潤し、またおいしい日本酒を生み出す。

岸先生は戦後の厳しい経済環境のなか、両親と一緒に農業や炭焼き、土方などを手伝ったりしながら幼少期を過ごした。四季折々の厳しくも豊かな自然環境の中で育ったことで、自然のもつ危険やまた恵みというものについて鋭い感覚が養われた。

東京に出て空手をやりたいという情熱は抑えがたく、19歳の時、岸先生は父親の意思に逆らって密かに家を出た。そして極真空手の門を叩き、大山倍達館長の内弟子になった。その後、台湾・ニューヨーク・イタリアそしてルーマニアなどに、極真空手を広める指導員として派遣された。
Y若い岸先生(右)と弟の靖徳さん(左)、新庄市飛田 若い岸先生(右)と弟の靖徳さん(左)、新庄市飛田 大山倍達氏から初段を受け取った直後の岸先生(右) 大山倍達氏から初段を受け取った直後の岸先生(右) 今では競技スポーツとして受け入れられている空手だが、岸先生にしてみればそうではない。空手は身体を鍛えるのと同様に、精神を鍛えるものだ。生徒一人一人がもっているそれぞれの身体や精神をベストマッチさせるレベル、各自のモチベーションをより高めていくトレーニングを、各自が捜す手伝いをするというのが岸先生の考え。私たちは皆、今日の自分よりももっと良くなることができる、昨日よりももっとうまくできるようになる。一番の敵は自分自身なのだ。 岸先生のシンプルな美しさと技術のバランスは、動きを最小限に留めながら力を最大化 岸先生のシンプルな美しさと技術のバランスは、動きを最小限に留めながら力を最大化 汗をかき、自分の肉体を限界まで追いつめることにより、あなたは自分の隠れた能力、精神力を知ることになるだろう。その結果、自分に自信がつき、それは人生における他の分野でも活かされることだろう。自ら組み手に挑戦することで、自分自身を見直したりまた、相手への敬意が養われたりする。そして今までよりも争いごとを好まなくなり、だがしかし今までよりも勇敢な自分になることができる。稽古はいくつかのセッションに分かれているが、それぞれの中に、毎回同じことを繰り返すものと、型やいろいろな相手とする組み手など新たにチャレンジするものとがある。そして正座して、呼吸が静かに落ち着くまで、両目を閉じて黙想する。空手の稽古は、自分の心や身体を健康にするのを助けてくれるいわば動く瞑想のようなものである。

こういう空手哲学をもっていたからこそ、岸先生は極真会館という大きな組織の中の一員であることではなく、『岸空手』という名でニューヨークに自分の道場を開いたのだった。
岸先生は自身の稽古で、単純な動きの中に秘められた美しさと力を追求した。『拳一筋』-人生を拳一筋に捧げる-という言葉は、まさに岸先生の生涯そのものである。 明治時代に建てられた武家屋敷の新庄道場の屋根の上に立つ岸先生 明治時代に建てられた武家屋敷の新庄道場の屋根の上に立つ岸先生 彼の新庄道場で、地元の日本人11人とニューヨーク道場の門下生達 彼の新庄道場で、地元の日本人11人とニューヨーク道場の門下生達 1994年に岸先生は母親の面倒を看るために、ニューヨークを去り日本に帰った。母親が亡くなった後も新庄に留まり、新庄の道場で稽古と指導を続けた。新庄に道場を開いた時、入り口には何も看板がなかった。岸先生は何度も「看板は付けないの?」と聞かれたがその都度、「もし誰かが本当に岸空手をやりたかったなら、必ず来る。」と答えていたが、これは本当だった。あちらこちらから多くの人が岸先生を訪ねてきて、入門した。 空手というのは本来、人間一人一人の体の中に入っているんだと思う。それを練り上げて、自分の空手を作っていくものだ。
岸先生は山歩きを大変愛していた。山の中の澄んだ空気、人間が窺い知ることができないほど深いところで営まれている自然の調和。先生の夢は山の道場を持つことだった。そこで皆、日々の雑事を忘れて自分自身の中にあるエネルギーや隠されている強さを見つけることに集中できるように。一人で山の中にいると、自分の人生に愚直に立ち向かう勇気を得ることができる、最高の機会と先生は感じていた。 最初に作った岸先生の山道場の2つの小屋 最初に作った岸先生の山道場の2つの小屋 『つまらない人間がやる空手はやっぱりつまらない。』-そう、俺は信じるね。どんなに運動神経が良くても、どんなに大会で優勝しても関係ない。簡単に言えば、自分の空手を決めるのはどれだけ自分の気持ちに正直かということ。もちろん、まじめに稽古をしなければ空手家にはなれない。技や力は一生懸命稽古をすれば身につく。『武術』という言葉は『武』と『術』から成り立っている。闘う技術という意味。『武道』ということばには、武士になるための道を探し求めるという意味も含まれる。俺たちは本当の空手家になるための『空手の道』を探し求めなければならない。
岸先生がよく山の道場の周りをハイキングしていた。近くにある約2000年前の木 岸先生がよく山の道場の周りをハイキングしていた。近くにある約2000年前の木 食用植物に精通していた岸先生 食用植物に精通していた岸先生 岸先生は2017年の秋、雪が積もって車で行けなくなるまで、可能な限り山の道場で過ごした。 2018年3月 岸先生は精神と肉体が繋がっていることを説明している 俺は誰でも皆、自分自身の中に空手を持っているんだと信じる。だから俺たちは自分自身の空手をつくっていくために、自分の中にある空手を見つけて磨いていかなければならない。たとえ近くに道場がなくとも、情熱さえあれば一人で稽古を続けることはできる。空手の流派、スタイルはたくさんあるが、岸空手には『岸空手はこうだ』というものはない。俺の道場での稽古を見ればとても退屈に見えるだろう。俺は生徒に基本しか教えないし、自分の空手を見つけろ、と言ってるから。空手は一人一人皆違う。誰か他の人が教えられるようなものではない。自分自身の中から自分で見いださなければならない。
岸先生は亡くなる最後の日々を新庄の道場で過ごした。病気、痛みそして食べることができずに日々弱っていく身体すらも、空手家、岸先生の姿勢、哲学を変えることはできなかった。岸先生は2018年4月23日に亡くなられた。最期まで名匠の威厳を崩されなかった。 岸先生、 山形県 月山 岸先生、 山形県 月山 俺はもう年寄りの部類に入っている。俺の空手仲間たちもそう。しかし、俺たちが空手を通して学んだことを次の世代に伝えていけるんだったら、幸せだな。