新庄道場
岸先生は1987年に新庄道場を設立する。元は明治時代の武家屋敷であったこの道場では、彼の長年の経験と理念によって、老若男女、身体能力を問わずにすべての人々が受け入れられて稽古をしている。

岸先生が自らの手で作った扉のそばの巻藁が入室時に生徒達を迎え入れることからはじまり、最小限の稽古道具が置かれた木の床と鏡を備えたシンプルな道場は、身体能力を強化することに重点を置く。

クラスは精神を落ち着かせるために正座での瞑想で開始終了。筋肉をしなやかにして関節を強化するウォーミングアップストレッチ後、生徒達は人体に元来備わる武器になるような力を育むために基本の手足を使った技を練習する。体力強化と身体調整ための腕立て伏せと腹筋、また前屈立や後屈立のような姿勢を保ちながら両手足を使うコンビネーションドリルは、集中力とスタミナを促進。組み手は生徒にとって異なる体格と体力の相手に対して精神的および肉体的に適応できるように助長。これらの練習全てが一体となって肉体と精神のバランスをとるアクティブな瞑想となる。

クラスの始めのストレッチなどの準備体操と同様に生徒達は各クラスの終わりに道場を掃除することを義務付けられている。 大きく開げた脚と低く下げた腰からなるスクワットは、脚力を強化すると同時に謙虚さを養うために生徒たちは道場の床を神前から道場の奥まで雑巾掛けをする。雑巾をすすぎ、手のひらを内側に向けて刀の持ち方をシュミレーションしながらグリップを強化しつつ両手で最後の一滴まで絞りきる。最も年長の生徒はトイレも掃除する。道場でのすべての活動は私たちの肉体と精神を調整することを目的だ。

新庄道場はただ肉体的な空手稽古をする場所としてだけではなく、他人への敬意を示すことを実践する空手の社会的立場を考慮したスペースとしても機能する。道場の創設にあたり岸先生は一つのコミュニティを作り上げた。 道場自体が彼の同期や空手家仲間、彼の生徒や友人、隣人といったコミュニティの特別な場所である。彼の空手に対する堅実な姿勢に敬意を払いこれらの人々は日々集まり続けている。

Mountain Dojo
山中道場
真室川の人里離れた谷あいに、岸先生は小さな『空手ヴィレッジ』を創った。ノコギリを使って丸太を切り出し、4棟の山小屋を建てた。そこで夏合宿が行われ、立木に向かって手刀打ち込みを繰り返す参加者の気合いが谷あいにこだました。食事は道場周辺に自生する山菜やキノコなどを調理したものだった。

街中での快適な生活や携帯電話から離れ不慣れな環境に身を置くことで、改めて毎日の生活の便利さを再認識することができる。滝まで続く細い山道を一列になって進み、途中、滑りやすい泥に足を取られないようにしたり、足が濡れるのを覚悟して川底の石を伝いながら川を横断したり、所々に氷が残っている所を這って進んだりする。時には幸せなことに、木の枝から吊り下げたハンモックに寝て、カエデの葉が茂っている隙間からじっと空を眺めてみる。すべて、あなたにとっては別世界の体験である。

岸先生は山を愛し、しばしば一人で山に登った。一人で山歩きをすることは何が起こるかわからないということである。何を目にすることになるのか、とても美しいものが目の前に現れるのか、興味をひく何かを見つけるのか、それはわからない。また、滑って怪我をしたとか、熊とばったり出会ってしまうということもあるかもしれない。岸先生は採った山菜などを入れるかごとナタだけを身につけ、食物や水は持たない。岸先生の山での動きは、空手で鍛えた用心深さで常に周囲に注意を払い、またそのような動きが先生の空手の技を一層鋭くする。自己責任は岸先生の考えだ。自分の至らなかった点や問題点などについて、他人のせいにすることはできない。水の流れができている所で足を滑らせて転んでも、どこかで何か間違いをしでかしたとしても、だ。自然は私たちに常に用心しろと教え、また周りのあらゆるものに感謝することを思い起こさせてくれる。

空手は日本で生まれたと言われているが、本当は、空手は自然から生まれたんだ。だから、俺が理想とする空手ヴィレッジは木々のそよぎや星の瞬きが聞こえる場所につくりたかったんだ。山肌のゴツゴツした表面に立てば、空手の立ち方や足を使った技の真の目的が、理解できるようになるだろう。それは滑らかな床を歩いていては決してわからない。

20年前、俺がここに山の道場を建てようと決めた時、周りの人は皆、岸は頭がおかしくなった、と思っていた。皆笑って言ったよ「俺は絶対に山の中に住みたいとは思わない!」彼らは俺が考えていたことを想像できなかったんだ。しかしここは俺にとっては稽古したり瞑想したりできる場所になった。そして他の人達には癒やしの場所にもなった。一緒に空手をやる人間達も訪ねてくる。現代人にとっては、電気も何もないなか、空手を通して一人の人間に戻れる所だ。考えてみれば、おふくろが病気になって、それでニューヨークを離れたということは良かったのかもしれない。何か天の意思だったのではないか。おかげでこの山の道場をつくることができたのだから。